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ひとりのろう者からあなたへ

ろう者として生まれて感じた社会の壁と合理的配慮とは

ひとりのろう者が24時間テレビに思うこと

まず初めに、私は24時間テレビを見ない。

その理由について、私が考えていることをお話ししたい。

24時間テレビについて思うこと

24時間テレビはもともとは障害者を知るために始まった…らしい。
あとは募金が目的というのもあるらしい。
確かにそのおかげで世間は「障害者の存在」を知ることができた。

 

それならどうして尚更、24時間テレビを見ないの?と思うかもしれない。

ここからはその理由をお話ししたい。

 

時代に合わない

確かに、24時間テレビを見れば障害者の存在に気づくことはできる。
でも、今はもうそういう時期ではないと私は思っている。

 

そう、時代に合わないのだ。

 

確かに昔だと今で言うSNSがなくテレビが全てだったので障害者のことを知る機会といえばテレビぐらいしかなかった。

そのため、24時間テレビは障害者のことを知ることができる良い機会だった、と言える。

 

でも今はもうそういう時代ではない。

24時間テレビも20年以上経ってきているし、そろそろ次の段階に移行するべき時が来たのではないかと思う。

 

一年に一度ではなく日常的に知ることが大事

では、その「次の段階」とは何か。

そう、「一年に一度ではなく日常的に」ということである。

 

 

つまり、「一年に一度障害者を知る機会としての24時間テレビ」を続けるのではなく、これからは「日常的に障害者を目の当たりにできる社会を作ること」だと思う。

 

言い換えれば、世間も24時間テレビのときだけ障害者の存在を知る、のではなく、もっと日常的に知ることができればいいよね、ということ。

 

海外のテレビでの障害者の例

良い例として、海外ではドラマや映画などで障害者が役者として出てくるシーンが多い。
また、例えば障害者が殺人犯の役として出てきたりなどもある。
あとは会社の面接で聴覚障害者を面接してるシーンなどもあったりする。
これは、障害者も健常者と変わらない人間として見ている証拠にもなると思う。
これがあると、普段からテレビを通して障害者の存在が当たり前になれるよね。

 

日本のテレビでの障害者の例

でももし日本でそれをやったら間違いなくクレームが来るよね。

「見苦しい!」
「子供が泣くからやめて」
「それは差別だ!」など…

 

障害者と切り離された社会

この原因として、今の日本は普段から障害者と切り離された生活をしてる人が多いのがあると思う。

普段から、障害者が見えなくなってるんだよね。

 

だから大人になってから初めて障害者と出会った時に

 

「うわ、何あれ?気持ち悪い」
「どうやって接すればいいの?」
「わけわからんから避けておいた方が安全だ」

 

…など思ってしまう人も多いよね。


だからテレビで障害者を見るとクレームを出してしまうのでは。

 

だからこそ普段からそこらへんに当たり前のように障害者がいる社会を作ることも大事だし、また障害者側も普段から積極的に外へ出て行くことも大事。

 

ということから、私は24時間テレビのときだけ障害者を前面に出すのではなく、もっと普段からテレビでも町中でも出して欲しいと考えている。

 

見下しを感じるし、健常者の方が変わる気がないのが見える

また、内容的にもお涙ちょうだいの内容ばかりというのも抵抗がある。

更に、今の24時間テレビはなぜか、「障害者が出来ないことを無理やりさせて、できたら「すご~い!できたよね!自信が持てたよね!」ともてはやすことが多い。

 

これってね、言い換えれば・・

「私たちは変わる気がありません。

だから、障害者の方から変わってください。

あなたたちの方が私たち健常者のようになってくれれば私たちはラクなのです」

と言い切っているのと同じ。

 

だからこそ、障害者を健常者に近づかせる内容になっているよね。

例えば聞こえない子どもたちに音楽をやらせたり、足が悪い人に登山をさせたり。

( 本人が好きでやってるならいいんだけどね。)

 

そして頑張らせて、できたら「感動した!!」

 

いやいやその前に、あなたたちは障害者の方に歩み寄る気はないんですか?と。

それよりもまず、あなたたちの方が障害者のフィールドに来てくださいよと思うのです。

 

例えば、聞こえる人が手話サークルに通ったりろう者の友達を作って手話を教えてもらったりして頑張って手話を覚える。

そしてその手話を使った劇をしてろう者を感動させる…とかね。

 

障害者の方が頑張って健常者のフィールドに歩み寄るなら、同じように健常者の方が頑張って障害者に歩み寄る企画もあっても良いのでは。

そしたら平等だよね。

 

ギャラの行方がいまいち不透明

もう一つ。募金で集まっているはずのギャラの行き先。

これはTwitterとかでもよく言われてるんだけど。

 

「制作陣やタレントに多額のギャラが渡っている」

「テレビ局の懐に多くが入っている」

 

などなど・・・

 

いやいや、本来は、障害者の方に行くべきでしょうよ。
それがどうして、実際に24時間テレビに出た障害者にはノーギャラなの?
謝礼程度さえも支払われないってよく聞くよ?

 

実際、募金の行方もちゃんと公開されてないみたいだしね。

 

24時間テレビはなくなった方がいいか?

とりあえず、実際に24時間テレビはなくなった方がいいのかどうかも考えてみた。

 

私としては、こんな腐りきっているのであればもうなくなってもいいと思う。
というか、もう終わってほしい。
これは多くの人も望んでいるんじゃないかなー。

 

ところが、こないだこういう記事を見つけてビックリした。

https://bql8yw.dm2302.livefilestore.com/y4mqpKH-RfQC6ogyukYk2Jap7ywROFM0bAiZ9WegOih0XziKxXupBHrURhlsLnIORV3hhJrr5ULG_Io_jm-n1IRVQ_L8PmDketluHqaRpnHjO6Ihhs2SKQSlCdIz6Ba3_fT5iU2LaR6a9keh2QgXHCz4fpdpHbP81-f1xxiVdnQKKaGhrh4aO1wwgTCctmqaGZ64GV4ywx2sd74AMDHNgkdlg?width=638&height=244&cropmode=none

引用:ブルゾンちえみ 24時間ランナーに選ばれた“納得の理由3つ” (女性自身) - Yahoo!ニュース

 

うーん、テレビの世界と一般人の考えることは大きくずれている模様。

 

 

どんな24時間テレビならいいのか?

24時間テレビはなくなっても良いと思うけど、それだと多額の募金が集まらなくて困るところもあるかもしれない。

募金の行き先が不透明な部分はあり、一部では「24時間テレビは大規模な募金詐欺だ」と言われているが、それでも少しは募金が役立っているところもあるかもしれない。

なので、もしなくさないとしたら、逆にどんな24時間テレビなら良いのかを考えてみた。

 

本当の歩み寄りを考える内容にする

今の24時間テレビは「障害者に何かをさせて頑張らせる内容」になっている。
これだと、障害者と健常者の歩み寄りを視聴者は知ることができない。

 

そうではなく、「障害者と健常者の歩み寄りとは何か」を知ってもらえる内容にしてほしい。

 

例えば、ろう者だと聞こえる方々とは手話または筆談などの方法がないと会話ができない。

でも今は技術の時代、技術を利用してろう者と聴者(=きこえる人)がもっと楽に会話できるシステムがあったらもっといいよね。

そして今なら「こえとら」「アミボイス」など、音声を文字に変換するソフトやアプリがいくつか出ている。

なので、これを使ってろう者が会社の会議に出席している様子、また、同僚とアプリを使ってコミュニケーションをしている様子をドキュメンタリーで映して、このアプリやソフトで足りないところ(例えば音声変換が足りないとか、方言はきちんと変換できないとか)を同僚や家族などにインタビューする。

そして、ソフトを開発している会社にも突撃して開発秘話などを話してもらったり・・

 

そして、募金はこのソフトの開発費用に使われますとPRして募金を集める。

 

そしたら、聞こえる人は「へー、あのアプリを使えば手話ができなくてもきこえない人と話すことができるんだな」と知ることができる。

ろう者を雇っている会社では、「これからはあのアプリを使ってろう者の社員にも会議に参加してもらえるようにしよう」と考えてもらえるかもしれない。

 

これこそ歩み寄りだと思うし、24時間テレビの意義があるかと。

また、募金の使い道も有意義なものになると思うしね。

 

そしてこれこそ、時代に合った24時間テレビかと思う。

 

まとめ

 原点に戻って、テレビは何のためにあるのか?

「娯楽」「世の中を知る」というのがほとんどだと思う。

しかし、近年の24時間テレビ論争(24時間テレビは要らないなど)を見ると、改めてテレビの在り方が問われているように思う。

 

テレビは本来、世の中のことを正しく伝える道具だったはず。

そしてそれは障害者の現実を様々な人たちに伝えることにも役立ったはず(かつての24時間テレビは)

それが徐々におかしくなっていき、今はとうとう「24時間テレビはいらない」と言われるようになってしまった。

これは非常に残念なこと。

 

今改めて、テレビの在り方を見つめなおし、それに合った24時間テレビを考えて行けるようにしてほしいと思う。

そしてそのためには、視聴者も変わらなければならないと思う。

 

これについては、私も含めて改めて考えていきたい。