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ひとりのろう者からあなたへ

ろう者として生まれて感じた社会の壁と合理的配慮とは

ろう者難聴者にとっての合理的配慮とは?

 

前回の記事では、合理的配慮の基礎について書いた。

 

tellyou.hateblo.jp

 この記事では、「では、ろう者難聴者にとっての合理的配慮とはどんなものがあるのか?」についてまとめていきたい。

私自身専門家ではないので間違っている箇所もあるかもしれない。

その場合は教えていただけると助かる。

 

それでは、いってみよう。

合理的配慮、ろう者難聴者の場合はどんなケースがある?

合理的配慮とは前回の記事でも書いたが、簡単にまとめると【ひとり一人の障害者に合わせた対応をしていくこと】である。

そしてそれは

1:過度な負担がかかることなく、その上でその障害者に合わせた適切な対応がなされなければならない

2:合理的配慮が適用されるのは公共機関や団体及び施設など

3:個人づきあいには適用されない

ことがポイントである。

 

ではその上で、合理的配慮の対象となるろう者・難聴者の事例はどのようなものがあるのだろうか。

 

それをいくつか挙げていく。

 

ホテルのテレビに字幕がつかない

これは気づかない人が多いと思う。

実際、ビジネスホテルなどホテルに宿泊してテレビを見ようとすると字幕が付かないことが多い。

その理由として、字幕を設定するリモコン(テレビを買う時に標準で付いてくるリモコン)と、ホテル側で設定したリモコン(有料放送も見られるようになっているリモコン)が入れ替わるためというのが多い。

 

こういうことが起こった場合は受付に申し出れば字幕を設定できるリモコンを貸してくれる場合があるが、これはごくまれ。

ほとんどは「貸すことはできない」と言われる。

 

これは合理的配慮の欠如に当てはまる。

 

聞こえない人にも平等に情報を届けるように整えることも合理的配慮の義務です!

 

この場合は「聞こえない人も聞こえる人と同じようにテレビから情報を得られるよう、字幕を表示できるようにする必要がある」という考え方から、聞こえない人がその部屋に泊まる時は字幕を設定できるリモコンを用意するということが必要になる。

これを拒否するということは合理的配慮の努力義務を怠っていることになる。

 

そのため、今後は改善してほしいという要望を出しそれを理解してもらえるように行動を起こすことが必要になってくる。

 

また、ホテル側もホームページなどに「標準のテレビでは字幕対応リモコンがありませんが、必要な方には貸出可能です」などの一文を入れておくなどの対応を考えてもらえると良い。

 

まず、「なぜなのか」をきちんと聞いておくことも大事。
ホテルによっては、テレビが古いシステムだったり有料放送を中心としたシステムのため標準のリモコンでも字幕を出せなくなっていたりなどの理由があるからである。
こういうケースの場合は合理的配慮の欠如にはならない。
その場合はやむを得ないので、改善を申し出ておくようにすると良い。

 

事故が起こった時手話通訳を呼ぶのを拒否された

これは警察に多いのですが、例えば車をぶつけられたなどの事故があった時、警察官に「手話通訳を呼びたい」とお願いしても、「裏で何か口合わせをするんじゃないか」など思われ拒否されたというケース。

また、通訳者を呼ぶことを拒否した上で、「聞こえる人の方が正しいはず」という思い込みで聞こえる人の話を一方的に聞き処理されたというケース。

 

これらは警察は公的機関(行政機関)なので、合理的配慮は法律で定められた義務であるはずなのにそれを違反しているということになる。

 

きこえない人から手話通訳者の用意の申し出があったら即座に用意するのも合理的配慮の義務です!

 

この場合、きこえない人から「手話通訳を付けてほしい」と言ってるにも関わらず一方的に断り、また、聞こえる人の話だけ聞いて判断したということは差別にも当たる。

もっと具体的に言えば、平等に判断してもらえず本人の権利が侵されたということ。

この場合は警察署内の相談窓口や市役所など地域の相談窓口へ相談すると良い。

 

きこえない人にとって警察の事情聴取は不安があるもの。 間違いがあれば下手すると誤解され前科がつくこともあるため、しっかりと手話通訳の派遣をお願いできるようにしておきたい。
 
ここまでで、いくつか分かりやすい例を書いてきたが、理解はできただろうか。
 

まとめ

合理的配慮は色々と難しいかもしれない。

でも実は簡単なことである。

 

なぜなら、合理的配慮とは言い換えれば「障害者がこの社会で理不尽なことにも我慢することなく必要なことを要求していき改善していくための権利」でもあるからだ。

 

ただし、その要求が過剰だったり、相手の負担が大きくなりすぎたらそれは「合理的配慮」にはならないので、要求する時は相手の背景や状況も理解した上でできるようになると良いと思う。

 

それでは今回はここまでです。

 

合理的配慮とは?基礎を分かりやすく解説!

ここでは、このサイトのキモである「合理的配慮」について書いていく。

合理的配慮・・この言葉が出てきてからまだ間もないので、ピンと来ない人は多いと思う。

でも、障害者も健常者も共に生きているこの社会では大変重要な知識となるので、是非とも読んでおいてもらえると嬉しい。

難しいことは書かないようにするので、読みやすいかな、とは思う。

ではいってみよう。

 

合理的配慮の基礎を知ろう

では、まず合理的配慮とは何か?から説明していこう。

 まず、合理的配慮が生まれた背景から見てみる。

 

障害者差別解消法とは

実は、合理的配慮が生まれる前に「障害者差別解消法」という法律ができている。

 

国連の「障害者の権利に関する条約」の締結に向けた国内法制度の整備の一環として、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が制定され、平成28年4月1日から施行されました。引用元:http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/jirei/

 

この障害者差別解消法というのは、簡単に言えばすべての国民が障害の有無によって判断されることのないように、そして障害ではなくその人の個性と人格を見ていこう、ということである。

それまでは、「障害者だからうちの会社では雇えない」などといったことがあった。

そういう「障害による差別」をなくすためにできたのが「障害者差別解消法」という法律である。

 

この障害者差別解消法の中で2つの取り決めがあり、それが「不当な差別的取り扱いの禁止」「合理的配慮の提供」である。

 

では次からはこの2つについて説明していく。

 

不当な差別的取り扱いの禁止

不当な差別的取り扱いの禁止、とは何か。

ここでいう「差別的取り扱い」とは、障害者と障害のない者(健常者)とで差をつけた取り扱いをすることを言う。

例えば障害者にだけサービスをしない・障害者にだけサービス提供の制限をする・などである。

この一例として分かりやすいのは、黒人の乗車拒否などがある。

 

合理的配慮の提供とは

合理的配慮についてはもう少し詳しく説明したいところだが、ここでは簡単に【ひとり一人の障害者に対して必要な配慮を行なうこと】とまとめておく。

 

つまり、障害者といっても一人一人違う。

特にろう者難聴者の場合は、「耳が聞こえないから手話通訳を用意すればいい」という問題ではない。

なぜなら、耳が聞こえないといっても手話を知らない人もいるし、手話よりは筆談の方がやりやすいという人もいる。

そのため、耳が聞こえない=手話通訳、と安易に考えるのではなく、その人の要望に合わせた用意をしなければならない、ということ。

 

また、ろう者難聴者が手話通訳などの何らかの通訳を求めているのに、「通訳の用意はできない」と断るのは合理的配慮の欠如に当てはまる。

 

この2点を盛り込んだのが、「障害者差別解消法」である。

またここで言う「合理的配慮」については、「障害者雇用促進法」にも含まれている。

 

では、次からは合理的配慮についてもう少し詳しく書いていく。

 

合理的配慮とは

合理的配慮とは先ほども述べたが、障害者差別解消法に盛り込まれている取り決めである。

そして、具体的には【ひとり一人の障害者に対して必要な配慮を行なう】ことである。

 

障害者から意思表明があることが大事

 そしてこの合理的配慮は、障害者側からの意思表明も大事になってくる。

また、障害者が何らかの理由で意思表明が出来ない時は本人に代わって家族や支援者などが意思表明をすることも可能となっている。

 

負担が過度にならないことが大事

合理的配慮を求めるにしても、合理的配慮に対応するにしても、どちらにしてもそれにかかる負担が過度にならないことも大事である。

ただしこれは、例えば配慮を求められた側が「予算がないから」という理由で合理的配慮を拒否する理由にはならない。

単に「予算がないから」と言って断るのは簡単だが、それは合理的配慮の欠如であり差別につながる。

なので、配慮を求められた場合は可能な限りできるだけの対応はしなければならないと決められている。

 

合理的配慮とバリアフリーは違う

ちなみに、ここで言う合理的配慮とバリアフリーは違う、ということも頭に入れておかなければならない。

合理的配慮は障害者に対する配慮が必要になった時に行なわれるべき配慮のことであり、それに対してバリアフリーは前もって「いつか障害者が利用する時のために」施設の設備を整えたりすることである。

 

もし義務違反があったら行政機関へ

もし、合理的配慮を求めても、相手方が何の対策もせず、「無理です」と断ってきた場合。(過度な負担はかかっていないとする)

これは合理的配慮の義務違反として行政機関に苦情を申し立てることができる。

 

相談窓口はこちら

国の行政機関相談窓口

http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai/pdf/soudan/zenpan.pdf

 

事業分野相談窓口

http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai/pdf/soudan/taiou_shishin.pdf

 

対象は事業者や団体、公共機関などに限る

そして合理的配慮の対象としては、国の行政機関や公共団体、機関、企業、団体、事業者など・・に限られている。

つまり、個人レベルでの付き合いに対しては対象外となっている。

ただし、だからといって個人レベルなら差別をしても良い、というわけではない。

この法律では、国の行政機関や地方公共団体、民間事業者などを対象にしており、一般の方が個人的な関係で障害のある方と接するような場合や、個人の思想、言論といったものは、対象にしていません。 一方で、差別のない社会の実現に向け、一般の方も含め、広く国民の皆さまにこの法律の趣旨や内容についてご理解いただくことは大変重要だと考えており、リーフレットやポスターの作成・配布、シンポジウムの開催などの広報啓発を行っていきます。

引用:

障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律についてのよくあるご質問と回答<国民向け> - 内閣府

 

注意すべきこと

もしあなたが合理的配慮を求めても相手が拒否した場合、しかるべき行政機関に相談することはできる。

ただし、それをしたからといって行政機関はそこに直ちに罰則を科すことはしない、そうである。

この法律では、民間事業者などによる違反があった場合に、直ちに罰則を課すこととはしていません。ただし、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者が行う事業を担当している大臣が、民間事業者に対して報告を求めることができることにしており、この求めに対して、虚偽の報告をしたり、報告を怠ったりしたような場合には、罰則(20万円以下の過料)の対象になります。

引用:

障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律についてのよくあるご質問と回答<国民向け> - 内閣府

 

しかし、だからといって「結局は罰則ないんだったら拒否してもいいじゃん」となってはいけない。

なので、合理的配慮の義務がなされていない場合、それが以下に対応する場合はしかるべき行政機関の担当者がそこに助言・指導・勧告などの行政措置を行なうことができる、と記されている。

 

民間事業者の取組が適切に行われるようにするための仕組みとして、この法律では、同一の民間事業者によって繰り返し障害のある方の権利利益の侵害に当たるような差別が行われ、自主的な改善が期待できない場合などには、その民間事業者の事業を担当する大臣が、民間事業者に対し、報告を求めたり、助言・指導、勧告を行うといった行政措置を行うことができることにしています。

引用:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律についてのよくあるご質問と回答<国民向け> - 内閣府

 

 

まだまだ不完全だし、これだけではあまり拘束力がないと思うのですが、それは今後に期待していきたい。

 

以上が合理的配慮の基礎であるが、分かっていただけただろうか。

まとめ

合理的配慮はまだまだ始まったばかりだが、今後の障害者の暮らしや障害者の人権を変える法律にもなる。

また、不当な差別を受けるのが当たり前だった今の日本も、合理的配慮というものによって少しは変わっていくのではないかと期待したい。

 

ただそのためには、もっともっと合理的配慮というものを広めていかねばならないと感じている。

そして皆さんも、「わざわざ合理的配慮という法律を作らないといけないような今の社会」に対してもっと色々と考えてほしいなと思う。

 

 

聴覚障害って何? ~ろう者とアイデンティティ~

こんにちは。

ここでは、聴覚障害のことをよく知らないという方に向けて、まず「ろう者」とは何かを説明していきたいと思います。

 

ろう者とは何か

まず、ろう者と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?

多くはこういうことを思い浮かべると思います。

 

「日本語ができず、発音もできず、耳も聞こえない。そして手話だけで会話をする人たち」

 

つまり、何もできない障害者というイメージ。。。

こういうイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。

 

では、実際はどうなのでしょうか。

まずは医学的な視点から説明していきます。

 

医学的に見たろう者という分類

 

医学的に見たろう者というのは、まず「聴力」で分類されます。

ここでの聴力とは、耳で何かを聞く力のことですね。

 

そして一般的には、この聴力が両耳とも100db以上であれば「ろう者」と分類されます。

 

※例えば30dbは人のささやき声が聞こえるという感じです。

このデジベルの数値が大きくなればなるほど聞こえの程度は悪くなっていくということです。

 

しかし、これだけではありません。

実は、ろう者という分類は医学的なものだけでなく精神的なものもあるのです。

そして、聞こえない人たちの世界のなかではこの精神的な分類が優先されやすいです。

 

では、精神的な分類とはどのようなものがあるのでしょうか。

 

精神的に見たろう者という分類

実は、医学的には難聴者と言われるほど障害が軽い人であっても「私はろう者です」と名乗ることがあるのです。

もともと医学的にろう者の分類に入る人が「私はろう者です」と言ってもピンと来ないかもしれませんが、これが難聴者の場合だと、どうでしょうか。

びっくりしますよね?

 

でも実際に、こういう方々はいるのです。

 

そしてこういう方々はどうしてろう者と名乗るようになったのかというと。。

 

聞こえない人の世界の中では(全てがそうとは限りませんが)

 

ろう者=自分が「聞こえない」ということを受け入れ、聞こえない人として生きていくことを決めた人たち。

そして聞こえる人に媚びることなく、聞こえる人と対等に向き合っていける人たち。

また、普段は手話を使い、手話にも誇りを持っている。

 

という見方をしている人が多いです。

つまり、ろう者=聞こえない自分に自信を持っている人たち、ということになります。

 

その一方、そういう方々は難聴者のことを

 

難聴者=自分が聞こえないということを受け入れられず、聞こえる世界に未練がある人たち。

普段は手話に抵抗があり、なるべく補聴器と発音だけでやっていきたいと考えている。

そして聞こえる人に媚びたりすり寄ったりすることが多い。

 

というふうに見ている人が多いです。

 

実際、自分のことを難聴者と名乗っている人の多くは上記のように普段から

 

「聞こえなくて大変、聞こえる人になりたかった」

「手話なんて恥ずかしい」

「私はあくまでも聞こえる人でいたい」

「私は発音もうまく聴力が軽いからそのプライドがある」

 

と言っている人も多いので、どうしてもそういう見方になってしまう人が多いと思います。

 

(ただし、自分のことを難聴者と名乗っている方々の中には、そんなつもりはなく単に医学的に難聴の分類に入るから難聴と名乗っているだけだという人もいれば、手話もするし聞こえない人として生きているけど難聴と名乗りたいだけ、という人もいます。)

 

このことからもなんとなく分かるかと思いますが、実は精神的に見たろう者という分類、というのはその人のアイデンティティに繋がることになるのです。

 

アイデンティティによる分類を優先してあげて!

 

そして聞こえない人の世界の中では医学的な分類よりはこのアイデンティティから見た分類の方が一般的になっており、そのためか、一般的には「ろう者」は差別用語と思われがちですが、聞こえない人の世界の中では一種の「誇り」にもなっていることがあるのです。

 

なので、例えば自分はろう者だと言っているのに他の人から「あなたは聞こえてるし発音もきれいだから難聴者でしょ」と決めつけられると嫌がります。

自分のアイデンティティを否定されているのと同じですからね。

 

アイデンティティとは、他人が決めることではありません。

自分が決めるのです。

 

なので、その人が私はろう者ですと言っていたら「そうか、この人はろう者なんだね」と受け入れてあげてください。

 

 まとめ

 

昔は「ろうあ者」という言葉がありましたね。

そしてこれは確かに、差別用語と言われていました。

 

しかし今は時代が変わり、ろうあ者→ろう者に変化していきました。

それと平行して、ろう者=聞こえない自分に自信を持っている人たちというイメージに変わってきました。

 

時代は変わるのです。

それと同時に、「ろう者」は差別用語ではない、アイデンティティとして大事な言葉なのだ、ということを世間にもっと知ってもらいたいなと思います。

 

それでは、今回は以上です。

 

 

ろう者にとってのAmazonアソシエイトの落とし穴

こんにちは。

ここでは、先ほど発見した「困ったこと」を紹介していきます。

 

先ほど、ブログにAmazonアソシエイト(要はAmazonアフィリエイト)を付けたくて申し込みフォームに名前や住所などを色々と記入していました。

そして最後の段階になって気づいたのですが。。。

 

なんと、本人認証は電話による音声のみでした。。。

 

https://1p2xhq.dm2302.livefilestore.com/y4my18nlv_RTWK_pEs0SLSZ0ZfCL_73tSuOo2C6fUZQUxyTbCTUy7L1Ak9oQVGYK1xsXkXUCm5qf--ZRodj9k2LEOCIwRAbjjdOaeX7e4abCcG3xCX3EY7-ox3DUEgKWY4xT6aSgcGr62in0CT7YH_bnsYSjQPmlW8wpiC6BZxygWklg0joeQmYF6sCc81gpfc8jTTgZbOWjqYXVEPHwqR1vA?width=827&height=381&cropmode=none

 

これだと、ろう者は何もできません。

それで、お問い合わせフォームに以下のようなことを書いて連絡しました。

 

https://1p2whq.dm2302.livefilestore.com/y4mBTsn5Q0KOF_J2kySWZ8xuYEu2e4YirFoON-VQu1tESKMLu-bNBwSxy2JwsIV-seB_7BjJqA2pARJSi7LUPBYDWupeTf1LCQl3xWDe2eWIgTOljlTSpJSmPCwcZHM-jzODfHlmSt4SKnniSR9J6UAnERlvJqfq0t2SbEnB9LyFHPIqDRPsld94fxO_fqsoAA918QXLWe8QvFoR27U-wr2vg?width=723&height=152&cropmode=none

 

とりあえず、お返事待ちです。

 

しかし、こういうことがあちこちにあるとろう者は困ってしまいますね・・。

この困っている事例がこちらにまとめられています。

 

こちらもご覧ください。

そして、合わせて音声認証の弊害について考えていただけると幸いです。

 

 

tellyou.hateblo.jp

 

それでは、またAmazonから連絡が来たらここに載せていきますね。

 

 

 

聴覚障害のカテゴライズの複雑さは同時に今の日本の聴者優位社会の問題点を示している

こんにちは。

一言聴覚障害といっても、日本ではろう者、難聴者、中途失聴者など。。。

複雑なカテゴライズがありややこしく感じてしまう人も多いですよね。

ここでは、私がそのカテゴライズについて考えたことをまとめていきます。

 

まずは、聴覚障害とは何か?という基礎から話していきますね。

 

聴覚障害は3種類ある

まず、聴覚障害には大きく分けて3種類あります。
「ろう」「難聴」「中途失聴」。


これらはそれぞれどう違うのか?を【医学的な視点】と【アイデンティティからの視点】に分けて話していきたいと思います。

 

★ただし私は専門家ではありませんので、あくまでも私なりの考え方として話していきます。★

 

それではいってみましょう!

 

ろう・難聴・中途失聴の違いとは

 

一般的に、ろう者、難聴者、中途失聴者という言葉を聞くとパッと思いつくのが「ろう者はすごく重い人、難聴者は軽い人、中途失聴者は途中から聞こえなくなった人」ではありませんか?

 

それは医学的にはあながち間違いではないです。

それをもっと具体的にまとめていきますね。

 

医学的な視点での判断

それでは、まずは「医学的に」見た違いからいきます。

医学的には

 

ろう→両耳が100デジベル以上であること。

※デジベル=聴力の単位。

 

難聴→両耳が30デジベル以上であること。(間違ってるかもしれません)

 

中途失聴→生まれた時は聞こえてたが、途中、例えば病気や事故などなんらかのことが起こって聴力が落ちたこと。

そしてそれが治らないままになっていること。

 

と言われているようです。

では次にアイデンティティからの視点だとどうなるのか。

 これは精神的な問題とも絡むので少々難しいかもしれませんが、なるべく分かりやすくまとめていきますね。

 

アイデンティティからの視点での判断

 

まず、聞こえない人たちはほぼ誰でも「自分の耳が聞こえないこと」を受容する過程があります。

 

この受容過程の時点で「聞こえないことを自分の中でどんなふうに受け止めているか」によって自分の中での「聞こえないことに対する考え方」が大きく変わってきます。

 

そしてそれによって、医学的な視点を超えたアイデンティティの視点から「自分はろう者」「私は難聴者」と決めることがあります。

 

これについてもう少し詳しく書いていきますね。

 

聞こえない人の世界の中でのカテゴライズとは

その前に注意しておきたいのですが、今から書く話は私の周囲またはTwitterなどのSNSを通して見聞きした話です。また、私個人の考え方もあります。

そこを頭にいれた上で読んでおいてもらえると幸いです。

それでは、書いていきますね。

 

ろう者は受容済、難聴者は受容困難という見方が多い

 

聞こえない人の世界の中では

 

「ろう者」=自分が聞こえないということを受け入れ、手話を使い、聞こえない人として生きていくんだという自信を持った人たち

 

「難聴者」=手話は抵抗があり使うことを嫌がる、または手話は使うけど声も使う。

そして、聴力が軽く発音もできるから自分は聴者に近いのだというプライドが見え隠れする人たち

 

というふうに見ている人が多いです。

 

これは医学的な視点を越えたアイデンティティの問題ですね。

 

そして聞こえない人の世界の中ではこういう見方をしている人がとても多く、またこのためにろう者と難聴者の間で壁ができたり、お互いがお互いを見下したりということがあちこちで起こっていることもあります。

 

それだけでなく、例えば医学的には軽い難聴の人であっても、「自分はろう者だ」と言っている人もいます。

 

つまり、医学的には難聴だけどアイデンティティはろう者、ということですね。

 

そして、ろう者、難聴者にとって医学的なカテゴライズよりもこのアイデンティティによるカテゴライズの方が重要なのです。

 

では中途失聴の人はどうなのか、というと。

中途失聴の人途中から聞こえなくなったために、まずそこから自分の耳が聞こえなくなったという事実を受け入れることがとても困難です。

(中にはすぐに受け入れた、という人もいますが)

 

そして、自分は聞こえなくなったのだ、と受け入れてからその後の自分のアイデンティティ模索の旅が始まります。

そして手話を選択し手話で生きる道を選ぶ人もいれば、やはりまだ自分は聞こえる人に戻りたい、と思い、手話を拒否する人もいます。(または年齢的に手話を覚えるのが難しいなど何らかの都合で手話を覚えない人もいますが)

そしてそこから「自分はろう者です」と言い始める人もいれば「難聴です」と言う人もいてバラバラです。

 

これもやはり医学的な視点を越えたアイデンティティの問題と大きく関わってくることが分かりますね。

 

アイデンティティによるカテゴライズはとても重要である

なので、繰り返し言いますが、ろう者難聴者にとっては医学的なカテゴライズよりもアイデンティティでのカテゴライズの方が大事ということになるのです。

なぜなら、アイデンティティでのカテゴライズの方は特に難聴者の場合「自分は聴者みたいになりたい」という憧れが反映されることがあるからです。

(ただし、難聴者だと言っている人の中には単純に自分は聴力が軽いからという意味で難聴ですと言っている場合もあるので、全部が全部そうだとは言いきれません)

 

そしてろう者として生きる、ということを選んだ人たちは一概に「自分は聞こえないのだ、だから聞こえない人として生きていく」という受容がある人たちということになります。

そこに聴者への憧れや未練というものは見えません。

 

そのため、ろう者が例えば新聞の取材を受けたとき、記事に「難聴者」と書かれると嫌がってそれを直してほしいと言う人もいます。

でもその多くは「ろう者という言葉は差別用語だから」と言われ修正させてもらえないことの方が多いようです。。本人にとっては差別用語ではなく大事なアイデンティティなのに。

ここは本人の気持ちを尊重してほしいものですね。

 

この背景は聴者優位の社会の影響が大きいのではないか

 

そしてこういうアイデンティティでのカテゴライズがあるということは、聴者優位の社会、「聞こえることは素晴らしいのだ」と思わせる社会、そしてその言葉通り「聞こえないということが不便な社会」がある背景が問題なわけです。

 

このように、ろう者か難聴者か中途失聴者か。。。というややこしいカテゴライズがある今の日本は、同時に聴者優位社会の問題点を示しているような気がします。

 

ちなみに海外ではろう者、難聴者などの複雑なカテゴライズはなく、全て「DEAF」(耳が聞こえない)の一言でまとめていると聞きます。

なのでそれを考えてもやはり。。この現状は色々と考えさせられますね。 

 

 

 

 

 

 

ひとりのろう者が24時間テレビに思うこと

まず初めに、私は24時間テレビを見ない。

その理由について、私が考えていることをお話ししたい。

24時間テレビについて思うこと

24時間テレビはもともとは障害者を知るために始まった…らしい。
あとは募金が目的というのもあるらしい。
確かにそのおかげで世間は「障害者の存在」を知ることができた。

 

それならどうして尚更、24時間テレビを見ないの?と思うかもしれない。

ここからはその理由をお話ししたい。

 

時代に合わない

確かに、24時間テレビを見れば障害者の存在に気づくことはできる。
でも、今はもうそういう時期ではないと私は思っている。

 

そう、時代に合わないのだ。

 

確かに昔だと今で言うSNSがなくテレビが全てだったので障害者のことを知る機会といえばテレビぐらいしかなかった。

そのため、24時間テレビは障害者のことを知ることができる良い機会だった、と言える。

 

でも今はもうそういう時代ではない。

24時間テレビも20年以上経ってきているし、そろそろ次の段階に移行するべき時が来たのではないかと思う。

 

一年に一度ではなく日常的に知ることが大事

では、その「次の段階」とは何か。

そう、「一年に一度ではなく日常的に」ということである。

 

 

つまり、「一年に一度障害者を知る機会としての24時間テレビ」を続けるのではなく、これからは「日常的に障害者を目の当たりにできる社会を作ること」だと思う。

 

言い換えれば、世間も24時間テレビのときだけ障害者の存在を知る、のではなく、もっと日常的に知ることができればいいよね、ということ。

 

海外のテレビでの障害者の例

良い例として、海外ではドラマや映画などで障害者が役者として出てくるシーンが多い。
また、例えば障害者が殺人犯の役として出てきたりなどもある。
あとは会社の面接で聴覚障害者を面接してるシーンなどもあったりする。
これは、障害者も健常者と変わらない人間として見ている証拠にもなると思う。
これがあると、普段からテレビを通して障害者の存在が当たり前になれるよね。

 

日本のテレビでの障害者の例

でももし日本でそれをやったら間違いなくクレームが来るよね。

「見苦しい!」
「子供が泣くからやめて」
「それは差別だ!」など…

 

障害者と切り離された社会

この原因として、今の日本は普段から障害者と切り離された生活をしてる人が多いのがあると思う。

普段から、障害者が見えなくなってるんだよね。

 

だから大人になってから初めて障害者と出会った時に

 

「うわ、何あれ?気持ち悪い」
「どうやって接すればいいの?」
「わけわからんから避けておいた方が安全だ」

 

…など思ってしまう人も多いよね。


だからテレビで障害者を見るとクレームを出してしまうのでは。

 

だからこそ普段からそこらへんに当たり前のように障害者がいる社会を作ることも大事だし、また障害者側も普段から積極的に外へ出て行くことも大事。

 

ということから、私は24時間テレビのときだけ障害者を前面に出すのではなく、もっと普段からテレビでも町中でも出して欲しいと考えている。

 

見下しを感じるし、健常者の方が変わる気がないのが見える

また、内容的にもお涙ちょうだいの内容ばかりというのも抵抗がある。

更に、今の24時間テレビはなぜか、「障害者が出来ないことを無理やりさせて、できたら「すご~い!できたよね!自信が持てたよね!」ともてはやすことが多い。

 

これってね、言い換えれば・・

「私たちは変わる気がありません。

だから、障害者の方から変わってください。

あなたたちの方が私たち健常者のようになってくれれば私たちはラクなのです」

と言い切っているのと同じ。

 

だからこそ、障害者を健常者に近づかせる内容になっているよね。

例えば聞こえない子どもたちに音楽をやらせたり、足が悪い人に登山をさせたり。

( 本人が好きでやってるならいいんだけどね。)

 

そして頑張らせて、できたら「感動した!!」

 

いやいやその前に、あなたたちは障害者の方に歩み寄る気はないんですか?と。

それよりもまず、あなたたちの方が障害者のフィールドに来てくださいよと思うのです。

 

例えば、聞こえる人が手話サークルに通ったりろう者の友達を作って手話を教えてもらったりして頑張って手話を覚える。

そしてその手話を使った劇をしてろう者を感動させる…とかね。

 

障害者の方が頑張って健常者のフィールドに歩み寄るなら、同じように健常者の方が頑張って障害者に歩み寄る企画もあっても良いのでは。

そしたら平等だよね。

 

ギャラの行方がいまいち不透明

もう一つ。募金で集まっているはずのギャラの行き先。

これはTwitterとかでもよく言われてるんだけど。

 

「制作陣やタレントに多額のギャラが渡っている」

「テレビ局の懐に多くが入っている」

 

などなど・・・

 

いやいや、本来は、障害者の方に行くべきでしょうよ。
それがどうして、実際に24時間テレビに出た障害者にはノーギャラなの?
謝礼程度さえも支払われないってよく聞くよ?

 

実際、募金の行方もちゃんと公開されてないみたいだしね。

 

24時間テレビはなくなった方がいいか?

とりあえず、実際に24時間テレビはなくなった方がいいのかどうかも考えてみた。

 

私としては、こんな腐りきっているのであればもうなくなってもいいと思う。
というか、もう終わってほしい。
これは多くの人も望んでいるんじゃないかなー。

 

ところが、こないだこういう記事を見つけてビックリした。

https://bql8yw.dm2302.livefilestore.com/y4mqpKH-RfQC6ogyukYk2Jap7ywROFM0bAiZ9WegOih0XziKxXupBHrURhlsLnIORV3hhJrr5ULG_Io_jm-n1IRVQ_L8PmDketluHqaRpnHjO6Ihhs2SKQSlCdIz6Ba3_fT5iU2LaR6a9keh2QgXHCz4fpdpHbP81-f1xxiVdnQKKaGhrh4aO1wwgTCctmqaGZ64GV4ywx2sd74AMDHNgkdlg?width=638&height=244&cropmode=none

引用:ブルゾンちえみ 24時間ランナーに選ばれた“納得の理由3つ” (女性自身) - Yahoo!ニュース

 

うーん、テレビの世界と一般人の考えることは大きくずれている模様。

 

 

どんな24時間テレビならいいのか?

24時間テレビはなくなっても良いと思うけど、それだと多額の募金が集まらなくて困るところもあるかもしれない。

募金の行き先が不透明な部分はあり、一部では「24時間テレビは大規模な募金詐欺だ」と言われているが、それでも少しは募金が役立っているところもあるかもしれない。

なので、もしなくさないとしたら、逆にどんな24時間テレビなら良いのかを考えてみた。

 

本当の歩み寄りを考える内容にする

今の24時間テレビは「障害者に何かをさせて頑張らせる内容」になっている。
これだと、障害者と健常者の歩み寄りを視聴者は知ることができない。

 

そうではなく、「障害者と健常者の歩み寄りとは何か」を知ってもらえる内容にしてほしい。

 

例えば、ろう者だと聞こえる方々とは手話または筆談などの方法がないと会話ができない。

でも今は技術の時代、技術を利用してろう者と聴者(=きこえる人)がもっと楽に会話できるシステムがあったらもっといいよね。

そして今なら「こえとら」「アミボイス」など、音声を文字に変換するソフトやアプリがいくつか出ている。

なので、これを使ってろう者が会社の会議に出席している様子、また、同僚とアプリを使ってコミュニケーションをしている様子をドキュメンタリーで映して、このアプリやソフトで足りないところ(例えば音声変換が足りないとか、方言はきちんと変換できないとか)を同僚や家族などにインタビューする。

そして、ソフトを開発している会社にも突撃して開発秘話などを話してもらったり・・

 

そして、募金はこのソフトの開発費用に使われますとPRして募金を集める。

 

そしたら、聞こえる人は「へー、あのアプリを使えば手話ができなくてもきこえない人と話すことができるんだな」と知ることができる。

ろう者を雇っている会社では、「これからはあのアプリを使ってろう者の社員にも会議に参加してもらえるようにしよう」と考えてもらえるかもしれない。

 

これこそ歩み寄りだと思うし、24時間テレビの意義があるかと。

また、募金の使い道も有意義なものになると思うしね。

 

そしてこれこそ、時代に合った24時間テレビかと思う。

 

まとめ

 原点に戻って、テレビは何のためにあるのか?

「娯楽」「世の中を知る」というのがほとんどだと思う。

しかし、近年の24時間テレビ論争(24時間テレビは要らないなど)を見ると、改めてテレビの在り方が問われているように思う。

 

テレビは本来、世の中のことを正しく伝える道具だったはず。

そしてそれは障害者の現実を様々な人たちに伝えることにも役立ったはず(かつての24時間テレビは)

それが徐々におかしくなっていき、今はとうとう「24時間テレビはいらない」と言われるようになってしまった。

これは非常に残念なこと。

 

今改めて、テレビの在り方を見つめなおし、それに合った24時間テレビを考えて行けるようにしてほしいと思う。

そしてそのためには、視聴者も変わらなければならないと思う。

 

これについては、私も含めて改めて考えていきたい。 

 

ろう者の老人ホームについて

ろう者が老後で1番不安に思うこと


こんにちは。
今日は私がふと思ったことを書いてみたいと思います。

ある日、こんな話を聞きました。

「ろう者が年を取った後、どこに行けばいいのか不安になる」

これを聞いて私も不安に思いました。

これはどういうことなのか?を今から書いていきます。

 

ろう者を受け入れてくれる老人ホームが少ない

まず、ろう者にとって「手話で話す相手がいる」ことは非常に大事です。


もちろん、聞こえる方々と筆談などでお話はできますが、それは結局は【一時的】なものです。
一日中ずっと筆談は家族でもない限り難しいですよね。

 

また、口の読み取りもできますが、年を取ってから体力が衰えているのにずっと口の読み取りはさすがにシンドイです。

 

そんな状態で、聞こえる人だらけの老人ホームに入れられるのはさすがに嫌です苦笑。

 

聞こえる方々も逆の立場になって考えてみたらわかると思います。

例えば、聞こえる方々も聞こえない方ばかりの老人ホームに入れられるのは嫌でしょ?

 

ここで、

 

【周りの人がみんな手話で話してる老人ホームに入れと言われたら入れますか?】

 

または

 

【英語が分からない状態で年を取ってから外国人だらけの老人ホームに入れられてそこで余生を過ごすことができますか?】

 

ね?ちょっと遠慮したいでしょ?

 

さすがに私も、聞こえる友達などはいますが、だからと言って「あなたは聞こえる人に慣れてるから、余生は聞こえる人の老人ホームに入っても大丈夫だよね」と言われたら全力でお断りします。

そんなもんですよね。

 

ろう者のための老人ホームが少ないのが現状

 

でも、今の日本、ろう者のための老人ホームが少ないのが現状です。
そのため、ほとんどは自分の子供達と同居しているようです。

しかし、それでも「我が子の人生を患わせたくない」という理由で同居して世話をしてもらうことを嫌がる人も多いです。

 

それもあり、今後はろう者のための老人ホームも考えていってもらいたいと思います。

 

でも、少しだけでもろう者のための老人ホームがあるのはまだ救われます。

では、ここからは今、実際にあるろう者のための老人ホームはどこかをまとめていきます。

 

ろう者のための老人ホーム紹介


今、全国にあるろう者(聴覚障害者)のための老人ホーム(養護老人ホーム特別養護老人ホーム)は9つあります。
★一箇所に集まってることが多く東北や四国、北陸などまだ老人ホームがない地域も多いです)

 

北海道

養護老人ホーム
「やすらぎ荘」定員50人 (入所50人)
特別養護老人ホーム
新得やすらぎ荘」定員50人 (入所40人 短期入所10人)

 

埼玉

特別養護老人ホーム
「ななふく苑」(定員73人 入所68人 短期入所5人)

 

京都府

特別養護老人ホーム
いこいの村 (定員105人 入所90人 短期入所15人)

 

大阪

特別養護老人ホーム
あすくの里(定員100人 入所80人 短期入所20人)

 

淡路島

特別養護老人ホーム
ふくろうの里(定員70人 入所60人 短期入所10人)

 

広島

特別養護老人ホーム
あすらや荘 (定員120人 入所104人 短期入所16人)

 

養護老人ホーム
あすらや荘(定員50人 入所50人)

 

福岡

養護老人ホーム
田尻苑 (定員50人 入所50人)

 

以上です。


この老人ホームの実態はどうなってるのかは分かりませんが、ともかく、最期まで手話で語り合える環境があるのはとても良いことだと思います。

 

今時点で東北、北陸、四国などまだ老人ホームがない地域もあるのでそういう地域に住んでる方々が老後に不安を持つことのないよう、早くそういう地域にも老人ホーム建設を望みたいですね。

 

みなさんも、ろう者のための老人ホーム建設について少しでも考えていただけると嬉しいです。